馬を祀る神社 神話・伝説・由来について
馬は古来より、人の生活に非常に密接に関わってきた生き物です。人々と共に働き、暮らし、そして死んでゆく彼らに感謝を伝え、自分たちの伝承を後の世代に伝えるために、日本にはたくさんの馬にまつわる神社がつくられました。この記事ではそのうちのいくつかの神社、その歴史や由来をご紹介します。
滋賀県・賀茂神社
関西の近江八幡市にある賀茂神社は馬を祀る神社「馬の聖地」として有名な場所です。
賀茂神社 馬にまつわる歴史・由来
馬の聖地と呼ばれる賀茂神社にはどのような歴史があるのでしょうか?
馬を祀る神社や儀式は国内にいくつもありますが、特別深い馬との関わりがあるとされる由来は何なのでしょう?
賀茂神社の起源
この神社の起源は飛鳥時代。天智天皇が日本初の馬の国営牧場をこの地に建設したことからはじまりました。
当時日本が大陸から受ける影響は大きく、朝鮮半島での白村江の戦いを終えた天皇は、強い馬と乗り手を育て、より国力を大きくするために力を尽くしたといわれています。
琵琶湖にほど近く高台であるこの土地は環境が馬の飼育・繁殖に適しており、多くの馬たちがここで育てられました。その後奈良時代、天災などで国は乱れ、聖武天皇は国土の災厄を封じ、人々の心の平安を祈る神社を建立したいと考え、方角良しと選ばれたこの土地に荘厳な社殿を造り上げました。
賀茂神社 馬が登場する催事・神事
賀茂神社で行われる 馬が登場する催し
1月 全国「馬・競馬・乗馬」安全祈願大祭並びに新年馬乗初式
5月「賀茂祭」「足伏競馬(あしふせそうめ)」
例年1月
全国「馬・競馬・乗馬」安全祈願大祭並びに新年馬乗初式
「馬事・競馬・乗馬」に関わる馬や人の安全祈願のための祭りが催され、
競走馬の厩舎や乗馬クラブの関係者、馬を愛する人々が集まり、一年の繁栄を祈ります。
5月
例祭「賀茂祭」では「足伏競馬(あしふせそうめ)」と呼ばれる、このあとにご紹介する京都・上賀茂神社での競馬会に参加する馬を決める古式にのっとった競馬神事が行われます。
賀茂神社と栗東トレーニングセンターの距離
賀茂神社のある滋賀県は、JRA西日本地区の競走馬調教施設「栗東トレーニングセンター」がある場所です。
馬好きなら一度は訪れてみたい場所ではないでしょうか?
「馬の聖地」賀茂神社と有名な競走馬たちが育ってきた栗東トレーニングセンターは車で40分ほど、
電車・バスを利用すると1時間45分ほどの距離です。
所在地: 〒520-3005 滋賀県栗東市御園1028
電話: 077-558-0101
公式サイト:https://jra.jp/facilities/tc/rittou/
京都府・上賀茂神社
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)
正式名:賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)、略称:上社(かみしゃ)
所在地: 〒603-8047 京都府京都市北区上賀茂本山339
電話番号:075-781-0011
公式サイト:https://www.kamigamojinja.jp/
上賀茂神社 馬にまつわる歴史・由来
上賀茂神社(賀茂別雷神社・かもわけいかづちじんじゃ)は京都でもっとも古い神社の一つ。
上賀茂神社の起源
かつてこの地を支配した一族・賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社として創建されました。この神社は奈良時代以前から天皇をはじめとする皇族、公家、武家衆から非常に厚い信仰を得ており、京都の長く続く歴史に深く関わってきました。
上賀茂神社の起源となる神話
当社と馬の関わりもまた古く、社伝には神社創建の起源となるひとつの神話が残されています。
賀茂氏の娘・賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)が賀茂川の上流でひとり身を清めているときにその矢が手元に流れ着き、不思議に思った彼女は屋敷へ持ち帰りました。その矢を丁重に扱い、寝床に祀ってやすんだところ、矢の持つ不思議な力により腹に御子を授かりました。生まれた御子は御子神として大変大事に育てられ、その子が元服したときに祖父であり一族の長である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が数多の神々を招いて宴を催しました。祝宴の席で祖父が御子に『父と思う神に盃をすすめてください』と盃を渡すと、
御子神は『我が父は天津神(あまつのかみ)である』と盃を天上に投げ、彼もまた雷鳴とともに天に昇って行ったのでした。残された賀茂建角身命と母・賀茂玉依比売命はおおいに嘆き、御子にまた会いたいと願っていると、
母の夢枕に御子が現れ、『私に会いたければ、天羽衣をつくり、火を焚いて鉾を捧げ、走り馬を用意してください。葵楓(あおいかつら)のかずらを装い、祭を行って私のことを待っていてください』と
告げました。その御神託に従って祭を行ったところ、立派な成人の姿となった御子が賀茂別雷大神(かもわけいかづちのみこと)として神馬を駆り、賀茂山に降臨したのでした。
上賀茂神社 馬が登場する催事・神事
毎月1日と日曜日 神厩舎で白い神馬「神山号」に会える
例年5月5日 「賀茂競馬(かもくらべうま)」
参拝者は毎月1日と日曜日に境内にある神厩舎で白い神馬「神山号」を目にすることができます。
彼は元競走馬のサラブレッドで、
普段は近隣の大学馬術部で生活しながら神馬として当社でお勤めをしているそうですよ。
また5月5日には「賀茂競馬(かもくらべうま)」が行われます。
もともと宮中で行われていた競馬行事で、2頭の馬の速さを競わせて天下泰平や五穀豊穣を願います。
寛治7(1093)年の堀河天皇の時代から上賀茂神社に奉納され、以降今日まで継承されてきた歴史ある神事です。
岩手県・荒川駒形神社
荒川駒形神社
所在地: 〒028-0661 岩手県遠野市附馬牛町上附馬牛14地割
荒川駒形神社 馬にまつわる歴史・由来
岩手県は古くから東北地方の馬産地として知られています。
荒川駒形神社の起源
荒川駒形神社は遠野市の附馬牛(つくもうし)地区にあり、今からおよそ700年前に遠野地方を治めていた阿曽沼氏の家臣・佐々木氏が馬産の神を祀ったことからその起源がはじまります。
地域の人々からは「荒川のお駒さん」と親しまれており、荷物の運搬や移動に馬の力を借りていた時代には、この神社の前を通る際は馬から降りて立ち止まり、人馬ともに参拝して日々の安全を祈ったそうです。
奉納されたたくさんの鳥居や絵馬を境内に見ることができます。
この地方に伝わる馬にまつわる伝説 オシラサマ
遠野地方に古くから伝わる伝説に「オシラサマ」というものがあります。
民俗学者の柳田國男が著した、この地方の口伝えを聞き集めた「遠野物語」にも記されています。
その家には美しい娘がおり、また一頭の馬を養っておりました。
娘はこの馬を愛し、ついには馬と夫婦になりました。ある夜このことを知った父親は翌日馬を連れ出して、桑の木に吊り下げて殺してしまいました。
娘は死んでしまった馬の首にとりすがって涙を流し、その様子にさらに腹を立てた父は斧を持ち出して馬の首を切り落としました。すると娘と馬の首はたちまち天へと昇り去ってしまいました。父は悲しみ悔い改めて、馬を吊るした桑の木でふたりを慰める木像をつくり、ていねいに供養しました。
それ以降、馬と娘の夫婦はオシラサマと呼ばれ、遠野を守る神様として祀られるようになりました。
馬と深く関わり、生活をともに送ってきた人々ならではの伝説ですね。
この地域には、他にも馬を守護する神を祀った神社が数多く建立されています。
神社に奉納する絵馬について なぜ馬?理由は?
合格祈願、家内安全、縁結び・・人生の節目に願掛けとして奉納される絵馬。 初詣などでおみくじと共に納めたことのある方は多いのではないのでしょうか。
そもそも絵馬とは何なのか?どのような意味合いのものなのか、調べてみました。
絵馬発祥 貴船神社
京都市左京区の山深い水源地にあり、「京都の奥座敷」とも呼ばれる貴船(きふね)神社。
所在地: 〒601-1112 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180
公式サイト:https://kifunejinja.jp/
絵馬発祥の社として有名
本宮社殿の前には、「絵馬発祥の社」と書かれた駒札があり、その隣には白馬と黒馬が戯れる銅像が建てられています。
貴船神社は水神である高龗神(たかおかみのかみ)を祭神として祀り、とくに祈雨の神として信仰を集めました。 平安時代には歴代の天皇が当社に勅使を遣わして雨乞い、晴れ乞いの祈願を行う習わしがありました。
干ばつで雨を降らせて欲しいときは黒い馬を、長雨が続き雨をやませてほしいときには白い馬を奉納し祈りを捧げていました。
時代が流れ、生きた馬の代わりに馬型の木板に色をつけたものを奉納するようになり、「板立馬」と呼ばれたその木板が絵馬の原型になったといわれています。
馬は古代から神の使いだと考えられており、本宮前の白馬黒馬像には貴船神社の大神の御霊が宿っているといわれています。人々は自分の願いを神様に届けてもらうために、様々なかたちの神馬を用意し祈ったのでしょうね。
まとめ
この記事では日本各地の馬にまつわる神社をご紹介しました。地域によって馬との関わり方にバリエーションがあるので、祀り方にもそれぞれの場所の特色が出てとても興味深いですね。
今回ご紹介しきれなかった関東地方やその他の地域にもたくさん馬関連の神社が信仰されていますので、また別の記事でご紹介できればと思います。